創業者の物語~三菱財閥創業者 岩崎弥太郎~

生い立ち

三菱財閥を1代にして築き上げた岩崎弥太郎は大河ドラマでも登場する幕末の英雄です。この方の生い立ちは、もともとは苗字帯刀を許された下級武士の出身でした。ですが武士とは名ばかりで生活は農民と変わらなかったようです。幼いころから勉学に励み、江戸まで留学をしたようです。

 

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20歳のとき父親が庄屋と喧嘩して入獄したことで、弥太郎は江戸から帰国しますが、奉行所に掛け合っても埒が明かないので、奉行所の壁に落書きをします。このとき「官は賄賂で、入獄決める」と落書きしたようです。この事件により役人侮辱罪で入獄されてしまいます。この入獄中に知り合った男から商売のノウハウと算術を学び、商人として生きる契機となります。

2年後に出獄し、吉田東洋が開く少林塾の門下生となります。弥太郎はここで実力をつけて、下級藩士となりますが、恩師の吉田は勤王派に暗殺されていまします。弥太郎は暗殺犯を追って京都まで来ますが、勤王派の勢いが盛んなのをみてあっさりと引き上げます。

三菱商会設立 創業時期

吉田亡き後、弥太郎は土佐藩が設立した土佐商会の主任として交易事業で活躍します。明治6年、弥太郎38歳にして土佐藩主体の交易組織を独立させて、三菱商会を設立します。このとき部下を集めて、再び役人になるつもりはないと宣言し、商人になり切れないものを辞めさせます。

弥太郎は役人を嫌悪していたようですね。その反面、政府の保護を受ける政商としての側面も強い創業者でした。今は絶対にダメですが、役人への接待攻勢が得意技でした。連日連夜、政府高官を接待し、コネ作りに励んでビジネスチャンスをものにしました。明治7年に政府は台湾征討を目指しますが、船が必要だった政府に食い込み三菱蒸気船会社を政府御用とすることに成功しています。この後もアメリカやイギリスの汽船会社と競争しますが、政府の庇護のもと、着実にライバルに勝っていきます。

KFS(成功のカギ):人たらしの技術

面白いのは、弥太郎はただ頭を下げるだけではなく、相手をからかったり、時には恫喝したり、硬軟を使い分けながら役人を落としていった点です。豪快なイメージの弥太郎らしいふるまいです。彼の人たらしの技術がコネクション作りに寄与したことは言うまでもないでしょう。

弥太郎の経営はとにかくワンマンだったと言われています。午前中に仕事を命じて、午後に遅れがあると激しく部下を叱ったようです。いつも部下をかばうのは副社長の弥之助の役目でした。この弥之助が2代目となり、三菱を盤石にするのですが、その話は割愛します。

 

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弥太郎の成功のポイントは政商になったことにつきます。政商として政府に取り入る際に彼の豪快な気質気前の良さが成功につながったのは間違いないでしょう。現代の起業家は政府に賄賂を贈ることはご法度ですが、政策に乗った展開をすることが政商になるきっかけとなります。政府の施策は中小企業庁や経済産業省のホームページを見るとよくわかります。政府の施策は常にアンテナを張っておくことが肝心ですね。

この記事は以下の書籍・ホームページを参考に執筆しました。

1.創業者列伝
 出版社: 学習研究社 (2011/6/1)
 ISBN-10: 4054049664

 

 

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